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経営を学ぶとは(1) 「学ぶ」とは01 ~ただその放心を求むるのみ

 経営を学ぶとはどういうことか。一つの定義の仕方としては、「成功する為に未知の領域の知識、法則を識り、知識を知恵に転じ、体得し、目的を明確にし、優先順位をつけ、それを目標に分解し、目標達成の為のやり方を設定し、実践し、フィードバックし、目的遂行まで繰り返すこと。」である。

「学ぶ」とは
 経営うんぬんの前にまずは「学ぶ」ということがどういうことか、体系立てて理解できているケースは少ないように思う。

  1、読む、聴く、調べる ⇒ 知って理解する ⇒ 腑に落とす ⇒ 応用し、表現したり使いこなす ⇒ 実用化し現実に反映させる ⇒ 成果につなげる ⇒ 体系化された知識として整理する ⇒ 再現する

  2、過去の実践 ⇒ 体験知を積む ⇒ 読む、聴く、調べる ⇒ 知って理解する ⇒ 腑に落とす ⇒ 体験知を体系化された知識として整理する ⇒ 応用し、表現したり使いこなす ⇒ 再現する ⇒ 成果につなげる

 例えば上記2つのようなケースが考えられると思う。経営系勉強会などで勉強する、本を読んで学問的に学習する、という方向から入ることが多い方を対象とするので、上記1のケースを見る。2は実践の中でやってきた成功体験と後付けの知識を紐づけていくパターン。

 「学ぶ」といってもこれだけのプロセスを経る作業である。各プロセスはそれぞれ別の作業だ。しかもその各プロセスはそうやすやすと簡単には通過させてはくれない。それぞれに難関があり、乗り越える為のコツが必要になる。職人の技術と同じである。そのコツを掴むまでには時間が当然必要になる。回数を積まなければならない。何回必要で、どれくらい時間がかかるのかは個人差がある。「知った」ら「出来る」ようになるわけではない。

 勉強会の参加者で、よくこういうことを言う人がいる。「これを勉強して本当にやれるようになるんですかねぇ」、「このやりかたで本当に結果につながるんですか」・・・etc 口に出さずとも、この疑念を抱えたまま疑心暗鬼の表情で、らしき経営系の勉強会に参加する。もしくは、「当たり」を探してあちらこちらに顔を出し、行脚する。それが実体であろうと思う。

 このフレーズを言う、これを思う人たちの共通項がある。まずは、それほどしんどい思いをせずに、拙速に結果を求める傾向の人だ。「出来る人」、「結果を出した人」に教えてもらえば、一番近道で結果につながる、と割と本気で思っている人たちである。

 確かに世の中の一般的な触れ込み、宣伝広告で「その日から即実行できて結果につながる」とか「マル秘テクニック公開」とか言っているものが多いので、それを期待するのも致し方ない。本当のウルトラCはどこかにあるのかもしれない。しかし、数年間、数百万ぐらい費やす程度では残念だが見つからない。

 そしてこれらの人たちに共通することは、学生時代から通じて、社会人になっても、必要以上にはあまり本気で気張って勉強していないのではないかと思えることが多い。死ぬほど勉強して、それぞれのレベルでの何がしかの難関を突破した、という経験値が少ないのかもしれない。往々にして見られる傾向として、根気とか集中力とかいう、何かの成果を出す上で一番必要な要素の体得への努力が薄いように見受けられる。

 大昔から聖人と呼ばれる人たちは言っている。例えば、孟子曰(いわ)く、「学問の道他に無し。ただその放心を求むるのみ。」と。学問をする目的というのは一つしかないと。出世して栄誉心を満たすためでも、金銭欲を満たすためでもない。「その放心を求むる」、すなわち雑念を払って、集中力を身に付けるためであると。その中に没頭し、いわゆる「三昧(ざんまい)」の境地に浸り、創造性のパワーを自身の中から生み出す為であると。

 学生時代の受験勉強には、その方法にさまざまな問題点が指摘されてもいるが、しかし、この体験を通じて、集中しなければならないときには集中が出来るという能力を獲得していくのである。

 「集中する」とひと口に言っても、これはとてつもない大変な作業だ。なぜなら人の意識は集中しようと思えば思うほど、雑念がほとばしり、普段気にならない他のことを先に片付けなければならないように思えたり、こんな事にこんなに時間を費やしている場合じゃないと急に焦り始めたり、あまりにも思うようにいかなさからイライラし始める。精神衛生上の悪しき事態を招き始める。なので最近では、「ながら勉強」のほうが効率がいいと言われているぐらいだ。一理あると思う。

 そのような精神的葛藤との戦いを乗り越えたものだけが獲得できる境地がある。「三昧」という境地だ。いまどきこんな言い方はしないかもしれない。

 あらゆる雑念、苛立ちが霧が晴れるように引いていき、それまでどうあがいても頭に入ってこなかった勉強内容の中に完全に入り込み、面白さを感じるようになり、断片的にばらばらだった知識が、シュルシュルっと電気が走るようにつながっていく、いわゆる「シナプスがつながる」快感を味わい、世の中のすべの真理の理解と体得を得たような気分になり、自分の生きている世界、ステージが壁を突破したように広がっていく感覚だ。

 ここまで体感して初めて上記プロセスの「腑に落ちる」という段階の突破だ。

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