経営を学ぶとは(3) 「経営」とは01 ~八条目
「経営」とは
次に「経営」とはどういうことか。 漢文的な解釈では「経(たて)を営む」とある。「経」という文字は縦糸、すじ道などの含意を持ち、すなわち「真理」を表象するのがそもそもの成り立ちのようだ。経済という単語も本来は「経世済民」、「世を経(たす)け、民を済(すく)う」というのがその真意であるのと同様に、「経営」も本来の意味は聖人君子の「真理の実践」である。
「大学」という中国古典の書物に「八条目」というのがある。「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「済家」「治国」「平天下」の八つの条目である。「物を格(いた)す」「知(智慧)に致る」「意を誠にする」「心を正しくする」「身を修める」「家を済(ととの)える」「国を治める」「天下を平らにする」。一国の君主が天下を平らかにしていくまでのプロセスを説いた「帝王学」である。
この八つのプロセスの中でも最も重要なものは最初の二つ、「格物」「致知」の部分である。「物を格(いた)す」とは、余分なものを取り除くこと。「知(智慧)に致る」とは自身の中にもともと備わる智慧が顕われること。
私たちはそもそもなぜ、もともと自分の中に備わっているはずの知恵が出ないのか。それは知恵の発露を妨げるように心の中、脳の中に雑念、妄想、ストレス、感情、既成概念、思い込み、先入観、好き嫌い・・・etcが渦巻いているからである。これらのものを取り除きさえすれば、知恵は自然に発露する、と言っている。この心と脳の障害物を取り除く作業が「格物」である。 この「格物」こそが「マインドリセット」のことである。上記の「学ぶ」とは何か、のところでも述べた「集中力の獲得」である。この状態でする思考を「ゼロベース思考」とか「フラット思考」とか言う。
それを乗り越えたところにある、「三昧の境地」、「シナプスのつながり」が知恵の発露、「致知」である。この「致知」の状態を直感、ひらめき、アイデア創造とか言っている。 格物は出来たのに致知に至らない、のではない。「格物」こそが人生の、いや生命体としての超最難関課題である。超絶賢い人たち、歴史の偉人たちの終局のテーマである。
このプロセスを乗り越えると後のプロセスは自然の流れのように、「意(念、思い)が誠」になり、「心(情、思考)が正しく」なり、「身(言動、習慣)を修める」ことが出来、「家(庭)を済(ととの)える」ことが出来、「国(行政区分、組織)を治める」ことが出来、そして「天下(社会)を平らにする」ことが出来るのである。 「天下を平らにする」は、今の私たち経営者に当てはめれば、社会貢献と言ったところか。「国を治める」の部分が、今の私たちで言えば会社、組織に当たる。その為には家庭が円満でなければ出来ない、と言っている。
経営とは単なるお金儲けの活動ではなく、真理を実践する帝王学である。このあたりの根本の部分の理解が足りないと、一時的な成功はあるにせよ、持続可能な経営は難しい。正しく言い直すと、持続可能な経営とはどういうことかを理解することは難しい。
経営者たるもの、自身のその経営の目的、「何の為に何をしようとしているのか」、その問いをどこまで極められているのだろう。最後に物を言うのはこの部分の「深さ」である。