WEB戦略構築(18) マーケティングライティング(2) ~「30年」の真意
30年の真意
「30年儲け続ける」為には、勢いとか調子の良い悪いだけでは無理だ。才能の有る無いとか、頭の良い悪いとか、人脈の質とか、競合の強弱とか、マーケットの変化とか、外部環境の変化とか、景気の良い悪いとか、調子の良い悪いとか、・・・、そういうあらゆる「属人的要素」や「気の循環」を超越しないと出来ない。12年周期とか18年周期とか言われる、個人の運勢とか運気とか、星回りとか、経営者自身のそれおよびキーマンや法人のそれも超越しないと出来ない。そういうものの影響は、大きな枠組みのところでは逃れるに難しい。個人のそういう影響が、事業活動を左右するような事業構築レベルでは、30年は無理だ。
「30年継続」は、一定不変にいつも同じことを繰り返す機械のようでなければ出来ないし、自動的にいつも一定の成果を生み出すマシーンのようでなければ出来ない。要はつまり、会社および事業自体が経営者の意図や作為を超越して、キャッシュを生み出し続ける「しくみ」と化していなければ、「30年続く」ことは無理なのだ。
双葉山は70戦目で負けた時、「未だ木鶏たりえず」と言ったとか。木で彫った鶏の置物のようにはなり切れなかったんだそうだ。「しょせんは人間」だったのだそう。「勝つためだけのマシーン」になり切れず、わずかな心の動きを生じてしまう人間に過ぎなかったと。人の心は、属人的な要素や気のめぐり、気の循環にとらわれる。気にして影響を受ける。しかし機械はそんなことは一切関係ない。一旦出来上がった「しくみ」は、そういうものの影響を極力排除するようにはたらく。「安打製造機」になり切ったイチローには、環境の変化も、相手投手の能力も、自身の体調や調子の良し悪しも、自身の運気や運勢など一切すべての要素も、「年間200本のヒットを打つ」ことに障害を及ぼすことはなかった。イチロー自身の生活や人生が順調で幸福かどうだったかは、それはわからない。果たさなければならないミッションとその人自身がどうであるかということは、完全に切り離されていなければならないということ。極端な事例だが、「しくみ」とはそういうことだ。
経営者なんていてもいなくても関係ない、経営者自身の人生が、どれだけ調子や運が悪く悲惨だろうが、毎年一定の範囲で売上が収れん出来なかったら「30年」は続かない。スタープレーヤーの能力や経営者の才覚、調子の波や勢い、時流で乗り切れるのが10年~20年ぐらいだ。しかし周期の波や構造的な壁が有り、30年は持たない。20年~30年ぐらい持つかどうかという期間的なラインが、会社や事業が勝手に回っていくマシーン、「しくみ」に至ったか否かのバロメーターになる。「しくみを創る」とは、かくも謹厳で無機質、そして冷淡な話のこと。思いや感情、夢や希望、自分にとっての良し悪しを超越して、徹しなければ無理だ、ということだけは濃厚な事実だ。修行僧、機械人間、木鶏にならなかったら、出来ないと言っている。
ただ、ここで言う本質の話は「無私」、すなわち私心、私情などわたくし無しのこと。単に堅苦しく、四角四面な修行僧、機械人間、木鶏だとかえって難しく、事をこじらせやすい。それは単なる、固執やとらわれが多い頑固オヤジだ。柔らかく、ユーモアがあり、慈愛にあふれ、そして謙虚に熱心に学ぶ、修行僧、機械人間、木鶏、この人でないと無し得にくい。経営とはイコール、そういう修行だというのが、最も本質の話。目指しますか?