業績向上人事(3) 人事の誤解と対策(3) 管理者の評価訓練(1)
6、管理者の評価訓練
評価制度が難しくなっている大きな要因の一つとして、実際に評価する「管理者の未熟さ」がある。その会社の中でだれが評価をするのかは色々だが、少人数、小規模なら社長自らするところもあるだろうが、ある程度の人数以上になれば通常は直属の上長、中間管理職の人がするだろう。一応全社的に統一された評価基準を用意してはいるものの、やはり評価者ごとにさまざまなバイアスが掛かってくる。期待度、その人の哲学、そして好き嫌い。多くの場合、評価制度の実体は「好き嫌い」である。評価される側はたまったものではない。不満があるない以前の問題だ。「組織の中では人間関係がすべてだ」と日本社会では当たり前になっている。
社長自身が「だってそういうもんだろう」と思っているのであれば、そもそも「人事制度」に関心は持たないだろうし、関心があるのは「コスト削減」としての機能、ということになる。今回のテキストは、「コスト削減」の側面のみの「賃金制度」は対象とはしていない。それは人事制度ではなく「財務」の問題である。このテキストで取り上げている「人事制度」としての「評価制度」「賃金制度」の大前提は、「ケイパビリティ」としてのそれである。
「ケイパビリティ」とは、組織構築や業務オペレーション、そこからもたらされる商品力の高さなど、その会社の中身としての実力、強さを充実させていくという、全社戦略、経営(企業)戦略としての2大方向性のうちの一つである。2大方向性のもう一つは「ポジショニング」である。ターゲットに対してどういう位置取りをし、競合との差別化をいかに図るか、というあれである。「戦略論」の詳細はまた別の機会に。
ケイパビリティ戦略としての「人事制度」であるならば、それがうまく機能してなくても仕方ないということは、前提として「ない」。問題があるならば当然、それは優先順の高い「解決すべき課題」である。組織がうまく機能していない原因が、構成員の不満であることが明らかなのに放置をすれば、遅かれ早かれその会社は終わる。それはすべて全軍の将である社長の責任だ。好き嫌いや人間関係などが主導し、組織内政治が全体戦略よりも強く影響する組織は淘汰を享けると歴史が証明している。組織としての「失敗の本質」である。
社員30名規模の乙社の社長が管理者社員から評価報告書を受け、コンサルに嘆いた。
社 長 「せっかく評価制度をつくり、これで正しく社員を評価できると思ったが、評価結果を見て愕然とした。なんだこれは?こんないい加減な評価では賃金なんか決められない。」
コンサル 「でも評価者訓練はしたんですよね?」
社 長 「全管理者を集めて2日研修をした。ところが、ある管理者はえこひいき丸出し、ある管理者は辛すぎる。あるやつはほぼふし穴だ。結局私が全部訂正した。好き嫌いを露骨に出してくるし、真剣に見ようともしとらん。」
コンサル 「では、この評価を社員さん達にフィードバック出来ない?」
社 長 「見せられるわけがない。説明しようがない。」
コンサル 「管理者さんたちにはそのことを指導されたのですか?」
社 長 「そんな時間は取れん。言ったところで変わる問題とも思えん。」
概ね、評価制度が機能しない会社がほとんどである。こうして高額な人事制度の「評価制度」が休眠に入る。「賃金体系表」は使っているかもしれない。しかし評価の反映しない賃金はバイトの時給と同じである。「処遇」にあたらない。社員の提供した「時間の代金」である。組織構成員の最高パフォーマンスを引き出そうと思うほうが図々しい。
管理者の業務の中で重要度の高いこととして、担当業務の業績管理など職責の全うと、通常もう一つの側面として部下の指導教育があるだろう。では何を指導教育するのだろうか。戦略全体の理想論から言えば、「その会社の戦略ストーリーに基づいたその部署の果たす役割、さらにその部署の中で割り当てられたその個人の役割を果たしうる技能、知識、理解、問題意識、パフォーマンス等」ということになる。実際には、ステレオタイプな理念とかビジョンは多くの会社に見受けられるが、組織を機能させるための「全社的な一貫したストーリー」が具体明確なケースは少ない。ということから言えば、評価うんぬん以前に、指導教育する内容すら明確ではないのが実態だろう。
毎日の中での「フロー業務を覚えてもらう」か「営業マンに数字を意識させる為にはっぱをかける」程度のことが多くの現場での実態だ。ある程度だれでもが出来ることを覚えさせるのは、「指導教育」には当たらない。それは研修とか講習という。そのレベルのところで、「指導教育」とか「評価」とか言っているので、目的やゴール不在の、結局行き着く先は「好き嫌い」である。社内政治や人間関係の影響が大きくとも、事業成果や組織機能に大勢影響のない、役割であり、業務内容であり、部署職責であり、会社であるということの裏返しである。会社全体での根幹のストーリーがないということは、そこから以下すべてボタンの掛け違いが起こる。
そもそも「ケイパビリティ」という概念自体を経営者はどの程度意識しているのだろうか。「それ何だったけ?」ということは、その概念がまるまる抜け落ちているということである。「ポジショニング」のほうは「差別化」という言い方で、常に競合との競争が念頭にあるので相当に意識していることだろう。だから多くの業界、会社、店が巻き込まれているのは、少々だれでもが製造出来るもの、売っているもの、提供可能なサービスの範囲の中で、価格での差別化、「価格競争」しか打ち手がない状況に置かれてしまう。この状況から脱皮する為には、戦略的に思考し、他に無いストーリーを紡いでいくのが前提だ。ストーリーのある会社、組織は、「だれに、何の役割を、どの程度、果たしてもらわなければならないか」が極めて明確なはず。それを当人に伝えていくのが指導教育であり、「その役割をどの程度果たしてくれたのか」、が評価である。 (ここで論ずるとさらに脱線するので補足までに、「他にないストーリー」と「他に無い商品、サービス」は同義語ではない。目新しい商品、サービスでもそのうち模倣されるが、独自資源と自社事情に基づくストーリーは、外から見えにくいということを前提としている。) 続く
(「成果主義人事制度をつくる」、「ストーリーとしての競争戦略」、「経営戦略全史」引用、参照)