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経営学の先端トピックス~最も根源的な経営知見(2) 経営学は役に立たないのか?

1、経営学に対する2つの誤解
2、「思考の軸」としての経営学

 

1、経営学に対する2つの誤解
 経営学に対する思い込み、誤解が大きく2つあるという。1つは、経営学者は経営にとって「役に立つことを研究している」という誤解。それともう一つは、経営学は経営に対する「正解を提供している」という誤解。

 まず1つ目の、経営学者は経営の「役に立つことを研究している」というほう。まあそもそも「役に立つ」という言葉の解釈の齟齬、という問題。経営者にとっての「役に立つ」と、経営学者にとっての「役に立つ」は普通に考えて、当然違う。経営者の中でも、大企業と小規模業、スタートアップとスモールビジネス、いずれも経営という括りなだけで、それぞれは全くべつのこと。ならばそれぞれの「役に立つ」も全く別の内容になる。経営学者の目的は、学位をとるとか教授になる、名誉を受賞する、学会での地位・・・。それはすべて論文で評価をされる。評価をするのは先達の、やはり経営学者の先生方になる。経営学者はどこを向いて、だれに向けて論文を書くのかと言えば、当然評価する学者に向ける。前提は大企業の経営者に評価をされるということはあると言えども、様々な立場の経営現場の「役に立つ」とは、当然べつのこと。なので、なんか違う、難しい・・・となるのは当然の事だという、まあ言われてみれば普通の事。じゃあ全く関係ない、全く役に立たないかと言うと、それもまたそうではない。人類の中でもぶっ飛んだ賢こが人生かけて研究してるのだから、その内容は当然示唆に富む。むしろすごいことだろう。それを様々な立場の経営者側がどういう見方、どういうとらえ方をしているのか、どういう見方、とらえ方をすれば、そのすごい内容を活かすことが出来るのか、そこをある意味問うている。

 

2、「思考の軸」としての経営学
 もう一つの、経営学は経営に対する「正解を提供している」というほう。「はじめに」の前置きのページでの内容と、上記1つ目の誤解の内容とから、経営学は決して、どの立場の経営者にとってもの、「今役に立つ正解」を提供するというたぐいのものではないことは理解できる。じゃあ何なのか?、どうとらえ?、どう見ればいいのか?という部分について。それが「はじめに」のページで述べた、「思考の軸」とか「思考の方向性」とか「フレームワーク」とか、考え方そのものをサポートするツールとして活用できるかどうかということになる。こちらでとらえている人は役に立つと感じているし、さらなる新たな知識、情報をどんどん吸収しようとする。一方、そういうとらえ方ではない人達、「今役に立つ正解」を求めている人は、役に立たないと感じ、時間の無駄、無用の長物ととらえいる。かと言って、知らない新たな情報の中には、「おっこれは知らなかった」と興味をひかれるものがあったり、実体験の中で何かの経験をきっかけに、以前は関係ないと思っていたことが意識に大きくクローズアップされたり・・・、一概に無意味とも言えなかったり。

 経営学が役に立つか立たないか、という論点にとどまらず、いまのこのことを例のあの4象限マトリクスで整理してくれてある。ぐっと俯瞰的に、体系的にとらえて理解してみたい。一つの軸は、「考え方をサポートするツール」ととらえる方向と、「今役に立つ正解」を求める方向と。もう一方の軸は、なんでも知識、情報には、「目新しい知らなかったこと」と、「もうすでに知っている、取り入れていること」とがある。

 すごくわかりやすくまとめて下さっていると感じる。要は上段の人か、下段の人かだ。情報処理全般に対する、その人自身の根本的なスタンスの問題。ここでは経営学を対象にしているが、それ以外の、抽象度の高い法則性、原理原則論のすべてが当てはまる。なら、具体性の高い知識、情報に対してだとどうなるか。上段の人のマトリクスの中の文言内容は変わらない、情報の質に対する根本的なスタンスへの影響はあまり関係ないだろう。方や下段の人は、それが目新しく、今のケースにはまれば「キターっ」と感じるだろうが、それ以外はやはりすべて、その人にとっては「使えない」となるだろう。

 上段の人にとっては、おそらく唯一の正解、既存の模範解答自体が世の中には存在していないという前提だろう。その答えは自身が出すと。下段の人にとっては、正解はどこかにあることが前提になっている。知っている正解はだれかに教えてもらったことだ。知らない正解は、いつ自分に回ってくるのかを探しながら待っている。能動的に探しつつ挑戦者のつもりでも、もっと俯瞰で見てみれば、結局正解を受け身で待っている。創業者やスタートアップの人種のスタンスとは乖離している。やろうとしていることはスタートアップであったり、何かイノベーションを起こそうとかいうつもりでも、情報処理全般に対する根本スタンスが下段であれば、これもそもそもの質の親和性に矛盾が生じている。自身の苦悩と格闘の末にひねり出す知恵で勝負しようとする本当の勝負師か、先達の誰かが敷いた勝ち馬レールのさらにその中の、最も効率の良いものに載ろうとしているのかの違いとも言える。

 まあこれも別にどちらが良い悪いという問題でもないだろうが、上段の人は上段の人同士、下段の人は下段の人同士、基本的には話が合う。上段の人と下段の人の場合だと、下段の人はそうでもないが、上段の人にとってはつまらない、退屈で苦痛を感じるだろう。多くのコミュニティはそんなところでぼんやりと、境界線があるような気がする。

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