経営を学ぶとは(2) 「学ぶ」とは02 ~「このやり方で本当に結果出るんですかねぇ」
学習することの目的は、何かが「出来る」ようになるというもっと手前の、集中力と三昧の獲得である。そのためには教材内容は、その本筋から外れていなければ、少々何でも一緒である。最終的には何かが「出来る」ようになるのは、自身の中から生み出されてくる知恵であり、アイデアであり、工夫であり、創造力だ。その自身の中からのエネルギーを発掘するために利用する道筋の、より効率の良いされている方法を主催者、先生が考えて、通常はどの勉強会でも提供されているはずだ。そのことがわかっていないと「この内容で大丈夫か」という、とんちんかんな疑念を発することになる。
確かに、さまざまな勉強会の中には奇をてらって差別化しようというものも存在する。それよりは王道のもののほうがベターに違いない。「おっすごい」より「とりあえずこれは外せない」を選択すべきである。
アイデアの選択基準にも「まいった」よりも「しまった」を選択、というのがある。相手にやられて、思いもよらないウルトラCで「まいった」と思わせる、という方法を探すより、相手もこちらもすでに知っているにもかかわらず重視せずに先を越され、「しまった!」と思わず洩れてしまう方法を確実に、先に抑えていく。これが固い正攻法だという話。(「超MBA式ロジカル問題解決」より)
「これを勉強して本当にやれるようになるんですか」、「このやり方で本当に結果出るんですかねぇ」という人ほど、奇をてらったもの、ウルトラCもどきにひかれやすいので注意が必要だ。
何かが出来るようになるまでに費やさなければならないエネルギー量は一律全員同じである。トータルの獲得ポイント数は同じ一定数である。もともと賢い人たちは確かにアドバンテージはある。でもそれは言ってみても仕方がない。
勉強する内容のものも、わかりやすいものもあれば、実践的なものもある。わかりやすくて実践的は理想だ。しかし長期持続可能かどうかはまた別である。表現が易しくわかりやすいと、読み・聞きしやすく、理解もしやすい。しかし、腑に落とし、応用し、実践活用し、成果につなげ、長期継続させるまでのプロセスのどこかで苦戦する。みんな同じことをしているかもしれないし。
表現が難しく応用的で、何を言っているのかわからないものもある。読み・聞きしにくく、理解もしにくい。しかしその壁を越えると実践・応用の中で成果も実感できたりもする。あまり誰しもが超えにくい壁があるからこそ、長期展望が望めたりもする。費用が高すぎるゆえに誰もが知らないこともある。
費やさなければならない総量エネルギー、すなわち能力、苦労、葛藤、ストレス、時間、お金・・・どのみち総合的に、一定のポイント数は超える必要があるということだ。能力に恵まれていなければ、他のエネルギーポイントを費やすしかない。お金があれば一番の高効率だ。しかし通常の人はここが一番のネックだろう。苦労、葛藤、ストレス・・・そして「時間」、言い換えれば「継続」、これだけは幸いに全員平等。